Dec 06, 2008
初めて買った車が廃車に
完全に私のミスですが、まだいいかな、エンジンオイル交換をますます遅延した場合に、ある日突然、走行中にエンジンが止まってしまった。何回か再試行してもエンジンがかからず、修理してもらったら、エンジンオイルがなくなってしまったようで、エンジンが焼きついてしまったこと。そして、そのまま廃車にせざるを得なくなった。あとはオイル交換を怠っていないので、廃車してしまったのは後にも、今後もこの一ボンマンイダ。長距離ドライブにはベテランドライバーといっても、常に危険が準拠しています。長時間休まずに運転するとなぜ眠気が発生するので、交通事故防止のためにも、高速道路などでは、途中のパーキングエリアで、数十分でも休憩をして新鮮な空気を吸ってまたハンドルを握るようにしたいものです。交通事故高は運転手の健康管理の方法も未然に防ぐことができると考えています。
京都府長岡京市のシンボルの竹やタケノコにちなんだ食で地域を盛り上げようと、市内の飲食店主らが、各店でタケノコを取り入れた料理を提供するキャンペーン「京都・長岡京 竹だけプロジェクト〜白黒竹食街道」を企画している。タケノコの「白」と竹炭の「黒」の、コントラストが美しい2色をイメージカラーに、アイデアあふれる料理を創作して集客につなげる狙い。3月1日からの始動に向け、試食会や登録店マップ作りなど最後の準備に追われている。
昨年10月、市内の飲食店主らが、食をテーマに自分たちのまちの活性化が出来ないかと声を掛け合い、プロジェクトが発足。市商工観光課も協力し、定期的に話し合いを重ねてきた。
地元の特産物としてのイメージが定着している竹やタケノコを活用した料理をセールスポイントにすることを共通条件に掲げた。竹は緑色の印象が強いが、見た目のインパクトをより大切にするため、テーマカラーをタケノコの白と竹炭の黒に設定。食材の産地や種類、値段設定などは店側の自由とする一方で、「長岡京市に根差し、長岡京市を愛するお店」として定義を満たした料理を開発して、登録申請書を提出さえすれば参加可能、と門戸を拡げた。
参加した店は、居酒屋やレストラン、菓子店などさまざま。試食メニュー作りのため、食用の竹炭パウダーや、竹炭やタケノコを練り込んだ麺などの食材の仕入れルートを紹介し合うなど協力しながら、試行錯誤を続けた。これまでに45店が趣旨に賛同し、登録している。
このほど、中心的なメンバー10人が開発メニューを持ち寄り、試食会を行った。タケノコと西京みそを使ったピザなど白さをアピールした一品がある一方で、竹炭パウダーを練り込んだパンや麺を使用した黒いハンバーガーやパスタなどをはじめ、真っ黒のエビチリやクレープ、マーブル模様のだし巻きなど、和洋中の白黒料理が並んだ。
互いに試食しながら「おしゃれで、しかもおいしい」「アイデアが勉強になる」などと語り合い、「目標は(B級ご当地グルメのコンテスト)B―1グランプリの制覇」などと意欲的な意見も飛び出していた。
1日のスタートに向け、参加登録店をPRするのぼりやマップなどを準備中で、イベント開催やイメージキャラクター作りも検討するという。リーダーの西田隆広さん(40)は「これまでは天ぷらや若竹煮など定番料理ばかりだったが、若い料理人の創作力をアピールできれば。『えっ?』と驚くようなものを増やして、みんなで地元を盛り上げたい」と話している。問い合わせは西田さんTEL(953)8341。
滋賀県長浜市内に設置が計画されているETC専用のスマートインターチェンジ整備計画に伴う地区協議会の設立総会が24日、長浜市役所で開かれ、「小谷城スマートインターチェンジ」とする仮称を決めた。今後、2016年度の供用開始を目指して手続きを進める。
スマートICは県内3カ所目となる。市は市民の利便性や周辺地域のまちづくりに役立つことから市の最優先事業のひとつとして、06年度から検討を進めてきた。
協議会は県や県警、高速道路会社、近畿地方整備局をはじめ、地元の長浜商工会議所や商工会、観光協会など9団体の15人で構成。総会では会長に藤井勇治市長を選任した。
続いて、長浜と木之本インター間13・8キロの中間にある同市湖北町山脇の北陸自動車道「湖北バスストップ」に併設し、上下線完全分離型で24時間利用できるスマートICの整備を検討していることなど計画概要を説明。仮称を承認した。
藤井市長は「既存2カ所のインターと連携して市のさらなる発展と絆が強められる。速やかに県知事を通じ国に整備要請を提出していきたい」と話した。
滋賀県栗東市の山間部に暮らす87歳の男性が、定年後に覚えたパソコンを駆使し、戦時中の思い出や、1930年代に英国へ留学した父と、留守を預かる母が交わした私信などを数十冊にまとめるなど、旺盛な執筆活動を続けている。米寿を記念して昨年からブログも始め、電子メールで世界各国に暮らす子や孫らと連絡を取る。老いてますます、パソコンを通した探求心を深めている。
同市下戸山の川?愛作さん。57歳で国際協力事業団(現国際協力機構)を定年退職してから、毎日のようにワープロやパソコンに向かっては、これまでの人生を思い返して文章を書いてきた。
幼少時の思い出や戦時中に中国を転戦した記憶など、テーマごとに製本しては、親類などに配った。川?さんが陸軍士官学校で過ごした日々を同期生がこっそり記録した日記も製本した。英国留学中の父と、日本にとどまった母の往復書簡が偶然、蔵から見つかり、冊子にした。書簡からは父が川?さんの作文の出来栄えを褒めるなど、子煩悩な両親の様子が伝わる。
昨年1月から始めたブログ「米寿翁(べいじゅおう)の独り言」では時評を書いたり、米国に暮らすひ孫の写真をアップ。昨年、心臓の病気で入院した時も、ブログを更新したい一心で治療に専念した。川?さんは「冊子やブログは生きがい。これからも書き続けます」と張り切っている。
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.